入院患者のための歩行器 TAP
これを書いている2014年8月からおよそ18年前(!)、金沢美術工芸大学の学生だった私が卒業制作としてデザイン・制作した、 入院患者のための歩行器 です。当時4年生でデザインというものについてまだまだ分からない事ばかりながらも、悩みながら苦しみながら何とか形にする事の出来た、とても思い入れのある作品の1つ。
このページでは市場調査となる病院の見学に始まり、スケッチや試作品制作から最終形状へ至るまでのプロセスも含めてまとめていますので、是非最後までご覧頂けますと幸いです。
1: 病院へ赴いての調査・アイデア出し
当時の病院での歩行器の姿。
いくつかの病院を拝見しましたが、歩行器はどれも鉄パイプむき出しの無骨なものばかりで、扱いも隅へ追いやられているような状態でした。
歩けない患者さんは車椅子を使い、歩ける患者さんは杖を使ったり、あるいは使わずに歩くという、「歩ける」と「歩けない」の中間の微妙な期間にだけ使用される歩行器は、少し扱いがおざなりになっている印象を受けます。
また歩行器などに掴まれば歩けてしまうため、フラついて転んでしまったり、段差に引っ掛かってつんのめってしまう様な危険は避けないといけません。
実際に歩行器を使用されている患者さんの姿も拝見しお話をお伺いしていると、歩行器を使うシーンは大きく分けて ベッド ・ トイレ ・ 洗面所 ・ 歩行時 という4つのシーンに分けられる事が分かってきます。
【ベッド】
個室ならともかく大部屋の場合、ベッドとベッドの間は狭いもの。
ベッドから手の届く所へ歩行器を置いておく必要があり、ベッドから歩行器・歩行器からベッドへの乗り移りの際には、歩行器をベッドへなるべく近付けた方が乗り移りやすくなります。
【トイレ】
トイレでは高さの低い便座へ乗り移らなければならないため、便器へ歩行器を近づける、また歩行器の高さを患者さんが自由に変える事が出来ると、使いやすくなりそうです。
【洗面所】
当時は洗面所も狭い所が多く歩行器が1台入ると、その後ろを他の歩行器が通り抜ける事が出来ない広さです。
顔を洗う、歯を磨く、口をゆすぐなどの動作を行うのですが、洗面台や蛇口へ患者さんを近づける事が出来ると、それらの動作も快適になりそうです。
【歩行時など】
肘置きは合成皮革で作られている事が多く、汗でベタ付く事を嫌って包帯を巻いている患者さんもいらっしゃいます。
高さ調節はネジ式のものがほとんどで、固着して回らなくなっている事もあり、患者さん自身が好きな時に好きな高さへ変える事が出来るものではありません。
こうした病院での現状調査の結果、まずは以下のシーンにおいてアイデアを出していく事を始めます。
【ベッド】
- ベッドとベッドの間の狭い通路でも、歩行器をベッドへなるべく近づける事が出来るようにする。
【トイレ】
- 便座へと歩行器を近づける事の出来るフレーム構造にする。
- 高さ調節を患者さん自身が手軽にできれば、乗り移りしやすくなる。
【洗面所】
- 洗面台へ歩行器を近づける事の出来るフレーム構造にする。
- タイルや石鹸、歯ブラシやコップなど、患者さんの私物を持ち運ぶ事の出来るトレーがあると便利。
【歩行時など】
- 病院は基本的に段差のほとんどない設計ですが、それでも残るエレベーター等へのほんの少しの段差に、タイヤが取られないようにする。
- 通気性の悪い合成皮革の肘置きではなく、手触りの良い布製の肘置きにする。
その他にも沢山のアイデアを出しながら、スケッチや試作品制作を同時進行で進めていきます。
2: アイデアをまとめつつ描くスケッチ
スケッチだけで100枚ほどは描いているでしょうか。スケッチや試作品制作は同時進行で進めていきます。
デザイナーの描くスケッチは、基本「絵に描いた餅」でしかありません。
食べて美味しいと言ってもらえる餅にするためには、スケッチを描き試作品で検証するという作業を行ったり来たりする必要があります。
抜粋ではありますが初期の頃のダサい形状に比べて、次第に最終形状のシンプルな形に近付いている事がお分かり頂けるかと思います。
3: 説得力を持たせる試作品制作
スケッチはあくまでイメージなので、実際には試作品での検証が欠かせません。
スケッチ同様、試作品もいくつも作り比べながら病院へ持ち込み検証し、次のスケッチ・試作品へ繋げていきます。
【第1試作】
ザックリと作った試作品を病院へ持ち込み、サイズや使用感の検証。
鉄パイプを曲げたり溶接したりしただけの簡素なものですが、このように検証を行うと問題点が浮かび上がってきます。
動きやすさと段差の乗り越えやすさを考慮して4輪共に大きなタイヤのキャスターにしたのですが、後輪側のキャスターが回転した時に患者さんの足に当たってしまう事がここで分かります。またベッドへ引き寄せやすくするためにも、後輪は小さなタイヤにしておくべきなど、改善点を考えながらスケッチ・試作品制作を進めます。
【第2試作】
後輪を小さくしフレーム構造も少し変更。
寸法のチェックを行いながら進めていきます。
【第3試作】
患者さん自身の手で好きな時に好きな高さへ変えられるようにと、この頃からフレームの矢印の位置に、椅子の昇降で使われるガススプリングを入れられないかと考え始めます。
【第4試作】
次第にフレーム形状が最終形状に近付いています。
ここで気付く事は安心と安全という事。見た目の圧迫感を無くすために、フレームには細いパイプを使用していたのですが、折れてしまう・曲がってしまう事は無くとも(安全であったとしても)、見た目に不安を感じる細さでは駄目だという事(安心感を感じる形や太さでなければならない)。
【第5試作】
安心感を感じる太さのパイプへ変更し、肘置きの形状確認や寸法のチェックを進めます。
こういったフレーム形状であれば、洗面台へ近づいて顔を洗う・口をゆすぐなどの動作も行いやすくなります。
【第6試作】
ここでは実際に購入したガススプリングも組み込み、ほぼ最終確認。
ここから最終モデルを作り上げていきます。
4: 最終形状
こちらが最終モデルです。
ベッドでは後輪がベッドの下へ入り込むので、ベッドに近付けて置いておいたり乗り移りが出来ます。
トイレでは肘置きの高さを自由に上げ下げして、便座へと乗り移りが出来ます。
洗面台へ近づく事の出来るフレーム形状なので、顔を洗ったり口をゆすいだりしやすいデザインです。
またこの様に洗面台へ近づけると、その後ろを別の歩行器で通り抜ける事も可能です。
歩行時には持ち手が持ち上がっているため押しやすくなっています。
また後輪が小さいので、患者さんの足にタイヤが当たる事も無く安全です。
カバーはジッパーで脱着可能な、汚れの分かりやすい淡い色の布製のカバーなので、汚れたら簡単に外して洗濯・付け替えが可能です(※淡い色のカバーにしている理由は後述)。
肘置きは、置いた肘が外側へ転落してしまう事を防ぐため、幅を広くし外側が少し立ち上がった形にしています。
フレームには椅子の昇降で使われるガススプリングを内蔵し、レバーを握れば簡単に高さ調節が可能です。
取り外し可能なトレーは、汚れたら簡単に取り外して洗う事ができ、また歯ブラシやコップ、石鹸などの身の回りの小物を持ち運ぶ事が出来ます。
高さは20cm上げ下げできます。
当時の病院は、病院を設計する時に必ずしもこうした歩行器や車椅子を使うという前提で、様々なものが設計されている訳ではなく、また歩行器や車椅子なども、その病院の設備と人を上手く繋ぐように設計されていない様に感じます。
そこでこの歩行器では、病院と人を繋ぐモノとして設計し、いろんな動作が行いやすくなる様にデザインしています。
この卒業制作でとても勉強になった事は、アイデアはピッカーンと電球が光る様に閃くものでは無く、悩んで悩んでその末に思い付きに近いレベルで出てくるものだという事。
そしてその思い付きを思いやりのある形・説得力のある形に仕上げていくためには、論理的に考えながら意味のある形にしていかなければならないという事です。
「なぜこの形にしたの?」と聞かれた時に、「いや、なんとなく…」では説得力もありませんよね。こうした考え方は、フリーランスとして活動している今も、とても役立っているように感じます。
※上述の「淡い色のカバー」にしている理由。
フランス料理店の話ですが、常にテーブルには真っ白なテーブルクロスが掛かっているという話があります。お客様が汚したら毎回新しい真っ白なクロスに交換し、また新しいお客様を迎えるというものです。
これはテーブルクロスを何枚も用意して交換し、常に真っ白な状態を保つという手間暇やコストよりも、このお店は常に清潔なんですよとお客様にアピールする事の方に価値を置いているのですが、何年か前に良く見かけたホスピタリティ(思いやり・おもてなし)の心そのものです。
この肘置きを淡い色のカバーにしているのは、こうした理由からです。
またこの歩行器のネーミング「 TAP (タップ) 」はタップダンスを踊れるぐらい、患者さんに回復して欲しいと願いを込めて、名付けています。
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